終わりと始まりの鼓動、地球が活動していなければ豊かな自然は生まれない

flower07“被害”という言葉が、私の中で、ますます違和感を感じるようになっています。
“被害”とは、何なのだろう? と。
“異常気象” とか、“自然災害” という言葉も、あまり好きではありません。

私が好きな言葉は、アーシュラ・K・ル=グウィンのどの物語に出てくる台詞だったか忘れてしましましたが、「未完の創造に栄えあれ!」  です。

地球がこうして活動していなければ、私たちは、どんな世界にいることになるのでしょう?
山があって、森があって、川があって、海があって、だから、晴れの日、雨の日、雪の日があって・・・・・
きっと、こんなに豊かな自然は、出来ていないのではないでしょうか。
そして、こんなに多様な生物も、生まれていないのではないでしょうか。
多くの詩も、多くの踊りも、多くの芸術も、生まれていなかったかもしれません。
山は、どうやって出来るのか。それを知るだけでも、多くのことを知ることができるのではないでしょうか。

“環境保護”、“動物保護”は、どこまで人間が関わる必要があるのでしょう? 全てを今までと同じにしておくことは、自然なことでしょうか? これまでだって、地球の環境はずーっと一定だったということははなかったはずなのに・・・・・。
“異常”とは、“被害”とは、誰の目線で言っていることなのでしょうか?
もっと高くて深いところで見たら、どうみえるでしょう?

大きな自然の力を受けて、これまでの生活が出来なくなることで、困難になるということは、こうやって書くよりも、ずっとずっと大変なことだということはわかっています。
でも、私はそこに、“終わり”を見ることができません。
私は、終わりと同時に、“始まり”の鼓動を聞きます。

その時マイナスだと思った出来事も、そこから一歩踏み出す時にはプラスになっている、ということを経験したことがある人は、多いのではないでしょうか。

世界は、終わろうとしているのでしょうか?
世界は、始まろうとしているのでしょうか?

終わるとは、何でしょう? 終わりの先には、何があるのでしょう?
始まるとは、何でしょう? 始まりの前には、何があるのでしょう?

それを、誰が知るのでしょう?

今日も、この地球の活動的なエネルギーに、私はドキドキしています。

生きている地球。
生きている宇宙。

ドクンドクンドクンドクン・・・・・

私もここで生きている。

日々いろんな事が起きていますが、表面に見えることだけではなく、エネルギーを見ることが出来れば、不安な感情に振り回されることもないのではないでしょうか。

“自然な生き方”とは、どんな生き方なのでしょう?