決められた性別を超えた“ワタシ”というあり方

yellow02時々、思う。
どうして、性別を理由に差別をしたり、優劣をつけたりするのだろう? と。

“これからは、男性性の時代から女性性の時代になる”。という言葉をよく聞くけれど、それは単に「女性が支配するということではない」「今の社会構造のままで、男性の立ち位置が女性に変わるだけということではない」という意見に、私は賛成です。

女性が支配するというのでは、相変わらず支配する者と支配される者がいることになる。そして、女性であるというだけで、その人は優れているというのであれば、そこにも相変わらず優劣という考え方が存在していることになる。
本当に、これが新しい世界のカタチなのだろうか?
ちょっと前まで「男性の方が優れているのだから女性は引っ込んでいろ」みたいなことから、今度は「女性の方が優れているのだから男性は引っ込んでいろ」と?

100%男性性をもった男性、100%女性性をもった女性、そんな偏った人は、実際にいるだろうか?
私は、一応女性です。一応というのは、身体は女性で、性格も女性寄りって感じはするけれど、よく言われている「女性らしさ」というものをすべてもっているかと問われたら、「いいえ」と答えるだろうからです。
「女子って○○が好きだよね」と言われても、「みんながみんな、そうってわけでもないんじゃない?」と思うし、“女子会”という言葉にはゾッとするし、子どもの頃、自分のことを「ぼく」と言っていたし、「女性はこうじゃなきゃ」とか「女性の幸せはこうなること」などと限定されると、何だか嫌な気持ちになります。
「“女子力”の高い男性は、ちょっと変」みたいなのものもよくわからなくて、例えば、料理やお裁縫は、日々を生きる中で、男性でも女性でもある程度できた方が、自分だけじゃなく、人を助けたり喜ばせたりすることもできるだろうと思います。「頭がいい女性は、モテないよ」みたいな言葉もそうで、頭が良ければ(ただテストでいい点がとれるということじゃなくて)、自分だけじゃなく、人を助けたり楽しませたりすることもできるだろうと思います。

そもそも、あれこれ分類して「こうあるべきだ」の囲いを作って押し込めて、そこからはみ出したものは認めない、みたいなこと自体が、男性性のあらわれなのではないだろうか。

性同一性障害(“障害”という言葉がなくなればいいのに・・・)やLGBTという言葉、他にも新しい言葉いろいろとできているようだけれど、第3の性、Xジェンダーという言葉があるようです。

Xジェンダー:
出生時に割り当てられた女性・男性の性別のいずれでもないという性別の立場をとる人々を指す。女性・男性の性別のいずれでもない性別を区分するかぎりでは、中性というあり方、無性というあり方、両性というあり方、性別という枠組みから脱するといあり方、女性か男性か定まりきらない流動的であるというあり方など人により様々である。

(参考:Wikipedia)

「男性とはこう」「女性とはこう」というのは、時代によっても変わっていくのに、それに従わなければいけないとすることは、とても窮屈に感じる。自分を変えてしまったり、誤解されてしまったりすることにもなるんじゃないだろうか。自分を出せなくて苦しくなったり、本当の自分ってどんなだったかも忘れてしまうことにもなってしまわないだろうか。
それよりも、自分自身と向き合い、そこで見つけた“ワタシ”というあり方である方が、ずっと自然なことではないだろうか。その方が開放的に感じる。それができれば、自分に嘘をつくことはなくなるし、相手に対しても、その人をそのままを見ることができるようになるのではないだろうか。だからといって、何も学ばなくてもいい、成長しなくてもいいということではないけれど・・・。

女性だから得意なこと、苦手なこと。男性だから得意なこと、苦手なこと。女性と男性の違いは確かにあって、それはこの世界のとらえ方や物事の考え方にも及ぶ。
でも、それに優劣をつけるのではなく、「そうゆう見方もあるんだ」と受け入れ、尊重し合えれば、「こういうことが難しいだね。それなら、ワタシにまかせて」と互いに補い合うことができれば、私たちは、もっと軽やかに日々を生きていけるんじゃないだろうか。

もしわれわれが社会的な両性存在であるとしたら、男性と女性が社会的役割において本質的に完全に同等であるとしたら、法的にも経済的にも平等で、自由においても責任においても、そして自己評価においても同等であるとしたら、社会はまったく異なったものとなるでしょう。そうなった場合にいかなる問題が現れてくるかは皆目、見当がつきません。わたしにわかるのは、ともかく問題が生じるだろうということだけです。ただその中心的な問題は、まず間違いなく、現在の問題と同じものではありますまい。現在の中心的な問題は搾取です ―女性に対する搾取、弱者に対する搾取、そして地球に対する搾取。現在の災厄的な状況の源は疎外であり、陰と陽の分離です。均衡と統合が追求される代わりに、支配への闘争が繰り広げられている。分裂が主張され、相互依存は拒絶される。現在のわれわれを破滅に落とし入れている価値の二元性― 強者/弱者、支配者/被支配者、所有者/被所有者、行使者/被行使者といった二元性― これが果たして、わたしにとって、現在から見て遥かに健全で堅固な、より期待しうる様態と思えるもの、すなわち、統合と無欠の状態への道を護ることはありうるでしょうか。

(参考:サンリオSF文庫「夜の言葉 <性は必要か?>」アーシュラ・K・ル=グイン著、スーザン・ウッド編、山田和子・他訳)