宇宙の色は色とりどり

flower08時々、思う。
どうして、みんな同じでなくちゃいけないのだろう? と。

“ひとつになろう” その言葉は、私たちがどうなろうと言っているのだろうか?
それは「これが正しいことだ」と誰かが言ったら、あっちの人もこっちの人もみんな同じ道を行き、同じ言葉を使い、「いや、それは正しくない。こっちが正しいんだ」とまた誰かが言えば、クルッと反転。あっちの人もこっちの人もみんな同じ道を行き、同じ言葉を使う、ということだろうか。
“同じもの”の囲いは、見た目が変わるだけで、結局同じことの繰り返し。従わないものは従わせるように抑えつけ、外見や思想の違う人たちは排除する。
これが、私たちが目指している“ひとつになる”ということだろうか・・・。

一色だけの世界は、つまらない。

私たちは、“元々ひとつで同じ”だとしたらどうだろう? ひとりひとりどんなに違っていても、元はひとつで同じなんだ、と。
思考や行動、その選択と決定権は個々の存在の数だけある。もし、誰かが自分と違う選択をとしたとしても、それはそれ。無理矢理「こっちだ!」とすることもしない。むしろ、“違う”ということから学ぶことは多い。自分がまだ知らなかった世界の存在を知ることもできるし、自分がどうゆう人なのかに気づくこともできる。
“ひとつになろう”とするのではなく、“ひとつである”ということがわかれば、互いの違いを自然と受け入れられ、争う必要もないことがわかる。“同じもの”の囲いはなく、“元々同じである”という帰る場所があるだけだ。
これが、私たちが目指していることではないだろうか。

でも、それはみんなはじめから知っていたことではなかっただろうか、とも思う。
ただ、いつ誰が作ったのかわからないルールだけど、それに従わなきゃいけないんだって、それが正しいことなんだって、そう思い込んでいるだけで。
でも、それも必要なことだったのかもしれない。
だって、光を見るためには、闇に持っていかなければいけないから。目覚めるためには、眠らなきゃいけないから。完全を知るためには不完全である必要があるから。そして、両方を見ることが出来たとき、大きな気づきと変革が起きるから。

色とりどりの世界は、楽しい。

でも、自分を変えてまで、人と違くなろうとするのは違う。
個性は、作るものじゃなくて、初めからあるものだから。新たに付け足すものではなく、引き出すものだから。そして、比べることでもない。それぞれの旅をするために必要なものであるだけなのだから。
そこに、本当の自由と平等がある。ひとりひとりが違うから、得意なこと、情熱を傾けるものが違うから、こうして世界は回っている。だから、学歴や職業によって優劣をつけるなん、何だかおかしなことのように思う。多様な人々がいるから、私たちの社会にもいろいろなものが生み出され、その多才な世界は色とりどりに輝き回っていく。
みんな同じだったら、世界は止まってしまう。

さあ、思い出そう。
本当の“個”を知ると、本当の“全”を知る。
“個”をなくした“全”ではなく、“全”の中に“個”があり、“個”の中に“全”をみる。
私たちは宇宙そのもの。
離れ離れになったことなどないし、これからも離れ離れになることはない。
ひとつだから、ひとりじゃない。色とりどりに輝く、透明な一つの生命。
“すべて”が美しくて、愛おしい。

みんなの本当の色は、何色だろう?
その色を生かすには、どうしたらいいだろう?
それをみつけられたら、私たちは、きっともっとやさしくなれる。

ムーミン谷のみんなに聞いてみよう。