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崩壊と開放

“私”を 深く深く探っていくと
“私”が バラバラになって 消えてしまうのではないかという
予感の壁に当たる
“私”が 無くなるという感覚
それは 不安と恐怖
その先へ進むのをためらい 引き返したくなる

消えてしまうなんて嫌だ!
“私”は“私”でありたい!
でも・・・
あの先には 何があったのだろう?

“私”に 深く深く潜っていくと
“私”が フッと消えて どこにも存在しなくなるのではないかという
予感のベールに触れる
“私”が 無くなるという感覚
それは 歓喜と郷愁
その先へ手を伸ばし 一気に飛び込みたくなる

“私”が“私”であるために “私”を頑張って作っていたんだ!
“私”を知らないように “私”が壁を創り上げていたんだ!
“私”は“私” 決して消えて無くなりはしない!

崩壊と開放は 同時に起きる

外側にあった世界が どっと 内側に入ってくる
別々に見えていたものが 一つに見える
“私”が“私”に溶け込み “私”になる

崩壊と開放は 同時に起きる

さあ “私”に飛び込もう
恐れることはない

“私”は ずっと ここにいる

崩壊と開放は 同時に起きる

さあ “世界”を抱きしめよう
恐れることはない

新しい世界は もう ここにある

 

 

「青と黄金と虹:#4」

あなたが 黄金の矢を 放つ
私は 瑠璃色の血を 流す

虹色の叫びは 世界を壊し
虹色の沈黙は 世界を創る

私が 黄金の矢を 放つ
瑠璃色の宙が 引き裂かれる

虹色の涙が 世界を癒す

始めから 終わっていたの?
終わりは 始まっていないの?

何も始まっていない
何も終わっていない

黄金の花
瑠璃色の蜜

虹色の蝶が 舞う

 

― writing: 「青と黄金と虹」より抜粋

 

 

世界に不安を抱くあなたへ

one cloud「核シェルターをつくるのは物質的な人間のやることだ。心の中に平和をすでに持っている人は、大生命の避難所の中にいる。悪には避難所はない。イデオロギーによる世界の分裂に加担しないものは、黒人であれ、白人であれ、赤色人であれ、黄色人であれ、次の世界に生を受けることができる。彼らはみな一つ、兄弟なのだ」

(参考:徳間書店「ホピ 宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著、林陽訳)

 

荒れる気候に、荒れる人間。世界は、どうなってしまうのだろうと不安を感じている人もいるかもしれない。(こんな中でも、世界に無関心な人もいるけれど・・・。)
去年までいろいろ書いてきましたが、先日、ホピに関する本を読んで、「あ、もう一度書いておこう。」と思いました。

生き残るとは、どうゆうことだろう?
丈夫な建物を立てて、たくさんの食料をため込んで、一歩も外に出なければ、私たちは生き残れるだろうか?
想像してみる。果たして・・・・・
丈夫な建物の中で、十分な食事ができても、心が病めば、身体は死へと向かうし、気に入らない相手がいたら、殺し合うかもしれない。
それよりも、太陽の陽に当たらずに生きられるだろうか? 人工の太陽を作る? 人工の太陽光で野菜を作る時代だし。でも、風の吹かない空間に、ずっと居られるだろうか・・・・・? 変化の無い世界・・・・・。
そもそも、それを“生きている”と言えるだろうか?
地球に背を向けて、本当に生きられるだろうか?

自然は、敵ではないはず。恐いのは、人間の方です。
自然の脅威には勝てない。というけれど、それでも、自然はすべてを死なせるほどのことはしていません。それは、死と同時に新たな生を生み、循環する大きな生命体のようです。台風を嫌がるけれど、サンゴにとってはありがたいことだし、大雪は大変だけど、土は栄養たっぷりになって、おいしいお米を作ってくれる。
私たちはどうだろう? 私たちは、地球を死に至らしめるほどの科学技術をすでに手にしています。それは、使えば再生不可能なものを生み出すものです。何にも繋がっていかないもの。輪は、回転を止めてしまう。流れが止まれば、腐っていくだけ・・・・・。私たちは、どうして自ら死を選んでいるのでしょう?

世界を動かしていると思っている人たちを見ていると、とても怖いことをしていると感じていると思います。
でも、彼らは、私たちに何を見せてくれているのでしょう?
私は、思います。彼らがそうすることで、私たちは、もう彼らには任せられない、私たち一人一人がしっかりと自分の足で立たなければいけない! と思うようになるのではないでしょうか。物語に登場してくる悪魔や悪い存在によって、本当のことが見えてくるように。
私たちがやることは、彼らを負かすことではありません。本当の力がどこにあるのかを知ること、本当に世界を動かしているのは誰なのかを知ることなのではないでしょうか。

そう。本当に怖いのは、自分の思い込みです。
私たちが力を取り戻したとき、きっと世界は一変するはずです。いえ、もうそれはすでに始まっています。

 

人間が誕生した当初、頭頂にはコパピ(開き戸)と呼ばれる柔らかい部分があった。人間はここを通して生命を受け、創造主と交わったのである。赤い光タウラバの時代、創造の最後の段階で、柔らかい点は固まり閉ざされてしまった。これは人間が死ぬときまで閉じたままであり、死に至って生命が飛び立つために開かれる。
(中略)
「お前たちはある場所へ行く。コパピがお前たちを導くだろう。内なる知恵は、ある光景を示すだろう。それは昼は特定の雲、夜は特定の星となってお前たちを導く。何ももたずに行け。雲が止まり星が止まったとき、お前たちの旅は終わる。」こうして選ばれた人々は第一の世界のあちこちで住み慣れた土地を捨て、昼は雲、夜は星に導かれて旅を始めた。他の人々は「どこへ行くのか」と尋ね、「雲も星もみえないぞ」と言って彼らを嘲笑った。彼らのコパピは頑なに閉ざされ、内なる視界を失ってしまったのである。

(参考:平凡社新書「インディアンの夢のあと 北米大陸に神話と遺跡を訪ねて」徳井いつこ著)

 

私は、何か起きたとき、静かに耳を澄まします。そうすると、心が落ち着いて、視界がクリアになって、やるべき事、行くべき場所をスッと知ることができます。そして、それに疑わずについていくと、つまずくことなく歩いていけます。他の人から見たら失敗だと思われることでも、それは、もっと大きな視点から見れば失敗ではないとわかります。あっちこっちから聞こえてくる情報や噂話に振り回されることも無くなって、心は、ますます静かに穏やかになっていきます。そうなると、誰かが作り出した幻想も、自分で作り出した幻想も消えていき、本当の道がわかるようになります。
それが分かったのは、数年前から眉間の辺りと頭のてっぺんがムズムズしはじめてからでした。
自分のことを知ると、本当にいろんなことが見えてきます。そして、いろんなことが消えていき、その行きつくところは、ただ「そうなんだ。知っている。知っているよ。」とういう感覚でした。そこで、ただただ大きな安心感に包まれます。
一番の近道は、やっぱり自分を知ることなのではないでしょうか。ずっとずっと昔からの問い。私は誰なのか? 私は、どこから来て、どこ行くのだろうか? ・・・・・

扉を閉ざすのは、不安や怒り、独りよがりの欲望です。そこは、閉ざされていて、繋がれるものが何もありません。
扉を開けるのは、平和であること。ただ、それだけです。そこは、透明な風が吹き、大きな生命と繋がっていられます。

不安を抱くのは、繋がっていないから。いや、ずっと繋がっているのに、それを忘れてしまっているから。
小さな世界を飛び出して、大きな視点で世界を生きてみませんか?
それは、すでに始まっています。

 

あなた方は、地球そのものにこれを読みとることができる。前の世界にあった植物が、種子として発芽し始めているのだ。それを読みとれるほどの目があれば、新しい植物学を開けるだろう。同じ種類の種子は天の星々にも植えられつつある。同じ種子がわれわれの心の中に植えられようとしている。このすべては一つであり、あなた方がそれをどう見極めるかにかかっている。これが、次の第五の世界への出現を作るのだ。

(参考:徳間書店「ホピ 宇宙からの聖書」フランク・ウォーターズ著、林陽訳)