想像しても創造しない

時々、思う。
どうして、創造のその先を想像しなかったのだろう? と。

「あなたは全人類のために怪物をほうむりされというが、それならむしろ怪物をとらえて、命を吹き込んだ直後にみにくく変化してしまった原因をさぐったほうがいいのではないですか? そして、同じ失敗が起きないように改良し、さらにすぐれた科学に進歩させたほうが、よっぽど人類のため・・・。」
「友よ、どうか、どうかばかなことをいわないでください! くだらない興味に身も心もまかせてしまうことが、どんなにおろかで危険なことか、わたしの話を聞いていて、あなたはまだわからないのですか!」
(中略)
「わたしも、自分を、なにか大きな事をなしとげる人間だと信じていました。しかし、そう信じながらつき進んできた結果がこれです。このわたしをよく見て、あなた自身のいましめにしてください。これがあなたの友としての、わたしからの遺言です・・・。」

(参考:講談社 青い鳥文庫「フランケンシュタイン」メアリー=シェリー著、加藤まさし訳)

フランケンシュタイン博士の言葉は、いつ届くのだろう・・・。

小説の中だけの話じゃない。
何年か前から耳にするようになった、ゲノム編集による「デザイナーベイビー」。気持ちの悪いことを考える人もいるものだ、と思っていたら、実行した人がいるというニュースを耳にした。
どうして、もっともっと想像しなかったのだろう? 創造しないという選択もあったのに。
でも、この人だけじゃない。
原子爆弾、原子力発電、人工降雨(気象コントロール)、抗うつ剤、・・・他にもいろいろ。
どうして、もっともっと想像しなかったのだろう? それは、創造ではなく、ただ破壊してるだけなのだと。
科学者だけじゃない。
自分の思い通りにならないから、相手を傷つける。DV、虐待、無差別殺人、ストーキング、いじめ。戦争も。
どうして、もっともっと想像しなかったのだろう? 愛されていない人などいないのに、その愛を自分で壊してしまっているのだと。自分自身の内側に目を向けないで、人のせいにしたり、社会のせいにしているままでは気づけない。生きているのは、あなただけじゃない。
普段の生活の中でだって。
買い物をするとき、手に取った商品を見て考えてみる。これは、身体にとって、環境にとってどうなのだろう? と。
もっともっと想像してみたら、これまでとは違った選択をするようになるかもしれない。

直感は大事。でも、ちゃんと考えることも大事。
それはエゴや欲望によるものじゃないかどうか、私たちにとって、未来の人々にとって、この世界にとってどうなのだろうと想像して、想像して、想像する。

思いやりのある人というのは、想像力が豊かな人のことだと思う。そして、良くないことだとわかった時には、ちゃんと止められる人、想像しても創造しないという選択ができる人ではないだろうか。

教授は夜を日に継いで、
大事業に熱中没頭。
それは ―なんにも発明しないこと。
幾年月の苦労のすえ、
たびかさなる実験は、
ついにのぞむ実りを結んだ。
次のモノを発明しなかった。
(専門誌が書くには)
みんな発明できたのに。

(参考:岩波書店「エンデのメモ箱 <発明しない者への讃歌>」ミヒャエル・エンデ著、田村都志夫訳)