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「ルーシーとソフィーとファーベル」を終えて

12月1日、「ルーシーとソフィーとファーベル」を終えました。会期中は、雨の日もあり、ぐっと寒くなりましたが、木々は鮮やかに色づき、穏やかな時間が過ぎていきました。最終日の閉館時間までご来場いただきありがとうございました。
展示会の様子をアップしました。 exhibition「ルーシーとソフィーとファーベル」>>

「ルーシーとソフィー」(アファール猿人・人類の祖先(※諸説あり)と知恵・叡智)という言葉が見えてから数ヶ月後、「ファーベル」(寓話・おとぎ話)が加わり、どうやって出会ったのかすっかり忘れてしまいましたが、シルバーポイントを手にして、今回の「ルーシーとソフィーとファーベル」の制作活動がスタートしました。
制作中は、ずっと見たかったものを見ることがでたり、これまで学んできたことや経験してきたことを活かすことができて、ずっと憧れて挑戦したかったことに挑めて、とても素敵な時空間でした。そして、ご来場いただいた方々にはバレバレでしたが、とてもとても楽しかったです。

この「ルーシーとソフィーとファーベル」は、まだまだ大きくなれる気がしています。靄の中のミッシングリンクがあります。それを今回は描けませんでした。(ずっと描けないかもしれないし、すでに描いているのかもしれないけれど・・・・・。)
いつかスケールアップして、もう一度できたらいいなと想っています。その時は、“森”の復活と共になろうかと想います。

他にもまだ実現できていなことがたくさんあります。
すぐにみなさんにまたお会いできる予定は今のところありませんが、その時が巡ってきましたら、お会いしましょう。

今回の展示会が開催できたこと、本当に嬉しく想います。ありがとうございました。

みなさんの活動、想いが、豊かに実りますように。

それでは、また。

 

 

一つの太陽と共に

個展「A Song of Twin Suns」終了しました。
開催期間中の一週間、ギャラリーを開ける前に、通り道でもある井の頭公園のベンチに座って、水鳥の作る池の波紋や水面に落ちる落葉を眺めたり、風と歌う木々の葉擦れの音や子供たちの元気な声を聞きながら、ちょっと早いお昼ごはんをのんびり食べていました。
ジョギングをする人、犬の散歩をする人、本を読む人、楽器を奏でる人、写真を撮る人、語らう人々、スマホの画面を熱心に見ながら探しモノをしている人たち、いろいろな国から来ている人々・・・・・。
みんな、それぞれの自分の時間軸で過ごしている。そして、その中に私も居て・・・。人々の間に風が吹き抜けて・・・。すべての人に陽が差して・・・。水が流れ、木々がうたう・・・・・。
子供のころから来ている場所も、大人になって静かにゆったりと見渡してみると、また違う景色が見えてきました。とっても贅沢な時間を過ごしたような気がします。

ギャラリーを開けると、ギャラリーの外で流れていく時間と、ギャラリーの中の時間を超越した空間の狭間で、「ああ、この感じ。」と、久しぶりの展示会の感覚にうっとりしていました。
ご来場くださる方々が入ってくると、その方それぞれの風が会場の中に吹き込みます。
そして、混ざり合いう。作品は、時の知らせを聞いたように目を覚まし、見る人と向き合います。見る人は、何かを受け取ります。それを、報告してくださる方、自分の中にしまって静かに会場を後にされる方。私は、それを受け取ります。

白黒でプリントした風景写真と絵画作品を撮った写真をランダムに壁一面に散りばめた「ププラの創造―現実とファンタジーの狭間―」では、これは、現実でしょ。こっちも・・・いや、絵だ! じゃ、こっちは・・・? と楽しんでいただけました。絵画作品では、岩絵の具独特の質感と発色を、そして、そこにある世界を。本のコーナーでは、じっくりと読んでいただけました。
お話しする機会があると、「ああ、そうだ。人と話すのって、こうだった。」と、ここ数年家族以外の人とほとんど会話をしていなかったので、久しぶりのことに、つたない感じになってしまっていましたが、いろいろなお話ができてとても楽しかったです。
犬の散歩中にご来場いただいた方々は、なぜか犬の方が率先して入ってきたり、子供たちも、お母さんより先にタタタッと可愛らしい足音を立てて入ってきてくれました。子供に作品を見られるのは、いつもちょっと緊張しますが、楽しんでもらえたようだったので、私も嬉しかったです。

穏やかで清々しく温かい幸せな日々でした。本当に、ありがとうございました。

私にとっては、これまでと今とこれからを繋ぐ展示会でした。そして、一つの区切りを付けてこの日を迎えました。
扉は閉じ、そして開きました。私は、開かれたこの道を歩いていきます。次の風景も見えてきました。
どんな表現になるかわかりませんが、また展示会などをすることになりましたら、是非いらしてください。

今回の展示会の模様は、後日、サイト内の 個展「A Song of Twin Suns」 で公開する予定でいます。画像からでは、当日の会場内を流れた風や灯った光をお伝えするのはなかなか難しいですが、今回来られなかった方々にも、こんな感じだったと見ていただけたらと想います。

 

それでは、また。

with the new sun.

 

 

2つの太陽が重なるとき

昨夜、めっきり冷えてきた静かな夜の空気を感じながら、個展「A Song of Twin Suns」の搬入をしてきました。いよいよ明日から開催となります。なので、今日はぽっかりと開いた空白の一日のようになっているので、最近感じていることなどを書きたいと想います。

搬入は、一つ一つの完結した作品が、今度は、会場全体の一部として配置されていきます。それは、特大のキャンバスに絵を描くようで、とても楽しい作業です。一つ一つそれぞれの世界がありながら、全体の世界を作っていく。そして、それぞれが、最も適した場所に収まっていく。・・・・・自分がやっていることを何となくただこなしていくのではなく、注意深く見てみると、いろいろな発見があります。遊ぶためには、土台がしっかりしてないとダメだってこととか。いくら良いアイディアが浮かんでも、まず下地をしっかり作らなければ、適した用紙、適したサイズを選ばなければ、いくら頑張っても中途半端なへんちくりんなものしかできません。
きっと、料理もそうですよね。おいしい料理を作るには、下ごしらえが大事。もっと言えば、食材が大事。そして、良い食材を作るには、土が大事。水が大事。陽が大事。・・・・・ああ、そうだ、ここは地球。頭上で輝いているのは太陽。・・・ああ、私たちは宇宙の中にいる! ちょっと急ぎすぎたかもしれませんが、目の前のことから一気に宇宙まで拡大していきました。そして今度は、「私は、それを見ている。」と気づけば、外に向かった意識は、一気に内に向き、自分の心根が、心のあり方がこの世界に影響を与えているんだと、とても大事なんだと気づくのではないでしょうか。・・・・・レンジでチンじゃ気づけない。
前回の記事でも書きましたが、何か大きな目立つことをするのが素晴らしいのではなく、普段の生活でやっていることに注意深くあれば、それだけで意識の転換は起きるのではないでしょうか。
しっかりとした土台できている上で、思いっきり遊ぶ。それが、成熟した大人の“遊び”ではないかと想っています。私もまだまだ修行中ですが・・・・・。

そして、搬入をしながら、やっと私が戻ってきました。全く違いますね、今月。
これまで物語の中では書いてきたし、書いてる間は、私もそれを経験しているのだけど、今、本当に、重力の無いところにいるような、時間も掴めないし、思考も順序立てて考えられないという感じで、出かける予定のある日は、何度もカレンダーと時計を確認して自分の今いる位置を確かめないとダメでした。
自分はここにいてこれをしているけれど、それが、本当ではないような感じがして、もうこの世界は終わるんだと感じました。全く違う生き方が、これから始まるのだろうと思います。

明日からはじまる個展も、一つの区切りとなるのではないかと想っています。
個展の準備も、先月には、ほとんど終わっていました。もし、終えていなかったら、こんな中、絶対にできなかっただろうと想います。そして、あと一つ何かが足りないと感じながら過ごしてきましたが、ようやく最後の最後で、ぴゅんっと飛び込んできた風景で、今回の展示会のピースが全て整い、搬入と同時に、私もちゃんと今この場所にいるという感覚が戻ってきました。

個展のタイトルは、はじめ「A Song of Twin Suns」ではなく、「Gate of Twin Suns」にしようと思っていました。でも、今年に入ってからだったか、「やっぱり、音だよね。音。」と想って、今のタイトルにしました。「宇宙はうたで満ちている」という私の感覚と、ゲートオープンという壮大な感じより、バラバラだった音が重なって一つの音を奏でるという方が、次のスタートには楽しいと想いました。

平面作品と立体作品、そこに何を見るでしょう?
色のある作品と白黒の作品、そこに何を見るでしょう?
作品と作品の間に、何を見るでしょう?
作品とそれを見る人の間に、何を見るでしょう?
作品が奏でる音、みなさんが奏でる音。それが重なったとき、どんな音が会場(空間)に響くでしょうか?
耳を使わず、聞いてみてください。
目を使わず、感じてみてください。
会場を出た後も、そうやって世界を見てみてください。
そこに何を見るでしょう?

今までにない大きなエネルギーの中での開催となります。一体どんなことになるのかわかりませんが、みなさんとこの時を過ごせたらと想っています。

 

地球の音 宇宙の音
どんなうたをうたっているだろう・・・・・?

壊れていくのは 古い世界
不安に思うのは その世界に留まりたいと思うから
勇気をもって 両手を広げよう
その時 新しい世界は その腕に抱かれよう

こっちの太陽と あっちの太陽が重なる 今この時

心に平和を
その時 道は開けます

 

それでは、みなさまのご来場お待ちしています。

> 個展「A Song of Twin Suns」

 

 

透明なヴィジョンの世界と色とりどりのリアルな世界

allcoloers透明な風が 身体の中に吹き込む
透明な水が 身体の中を流れる
透明な光が 身体の中に灯る
私は 透明なヴィジョンを見る
そして 世界が生まれる

虹色の風が 身体の中に吹き込む
虹色の水が 身体の中を流れる
虹色の光が 身体の中に灯る
私は 虹色のヴィジョンを見る
そして 世界が動き出す

暗闇が 私の身体を抑える
暗闇が 私の目をふさぐ
暗闇が 私の口を閉ざす
私は 透明なサウンドを聞く
そして 世界が眠る

私が描く絵
私が紡ぐ物語
私が作るモノ
それは 透明なヴィジョンの中に現れる 虹色の世界
透明なサウンドがうたう 透明な暗闇の世界

私も そこから来たのだろうか?
でも そこはどこだろう?
それを 知ることなんてできないと
そんな確信を持っている
でも ずっとずっと前から知っているような 懐かしい匂いのするところだと
なぜか そんな確信も持っている

透明なヴィジョンが 瞳に映る
私は 描き 紡ぎ うたう
これは 共同創造
だから 気持ちがよくて 楽しいんだ

生まれた世界が 世界に放たれる
世界が 反射する
これは 共同創造
だから 気持ちがたくさん溢れるんだ

透明な風が 世界に吹き込む
透明な水が 世界を流れる
透明な光が 世界に灯る
私は 透明なリアルを見る
そして 二つの世界が繋がる

虹色の風が 世界に吹き込む
虹色の水が 世界を流れる
虹色の光が 世界に灯る
私は 虹色のリアルを見る
そして 世界が動き出す

暗闇が 世界を覆う
私は 透明なサウンドを聞く
そして 世界が眠り 目を覚ます

私は どっちの世界にいるのだろう?
こことは 一体どこだろう?
それを 知ることなんてできないと
そんな確信を持っている
でも ずっとずっと前から知っているような 懐かしい匂いのするところだと
なぜか そんな確信も持っている

透明なヴィジョンが 瞳に映る
私は 描き 紡ぎ うたう
これは 共同制作
だから 気持ちがよくて 楽しいんだ

生まれた世界が 世界に放たれる
世界が 反射する
これは 共同制作
だから 気持ちがたくさん溢れるんだ

透明なヴィジョンの世界
色とりどりのリアルな世界
私には どっちの世界も リアルで大切だ
だからこそ 生み出すモノには よく考えて 責任を持たなくちゃと思う

 

 

混沌から世界を創る

4in1今、writingで「バース・クライ The Birth Cry of the New World」を書いていて、そこに挿し絵も載せていますが、それを、4色が1本になっている色鉛筆とクレヨンで描いています。
これを使ったことのある方はわかると思いますが、自分の意図した通りにはいかないわけです。ある程度コントロールできるけど、思わぬことろで別の色がニョキッとあらわれます。キチンとさんには、なかなか厄介な画材です。でも、私はそれが楽しいのと、これから道なき道を進むのにはピッタリと想って使ってます。

自分の予想とは別の色が飛び出してきても、そこで投げ出さずに続けていくと、そのうち良い感じになっていきます。飛び出してきた色が、良い感じに手を繋いでくれていることに気づきます。

小さなカオスを握って、真っ白の世界に、いろいろな形の世界を創っています。

はて、この想像・創造は、どこからくるのだろう?

昨日ふとテレビをつけたら、NHKで司馬遼太郎さんの「この国のかたち」を取り上げた番組が流れていました。
私は、読んだことがないし、結局最初から最後まで番組を見ていないのですが、私が見た時間の中で、「日本人は、無思想の思想を持っているのだ」 とありました。何か一つの決めた思想を持って生きるのではなく、いろんなことを柔軟に受け入れて変化させながら生きていくのだと。

一つの考え方や生き方だけでは、何か大きな変化が起きたとき、あたふたしてしまうんじゃないだろうか。でも、多様な、柔軟な考え方や生き方であれば、その時々でうまく対応できるんじゃないだろうかと想います。
そして、すべての多様なものの中・背後にある、または、何かが起きる・出来上がる前にある“   ”と繋がっていれば、ふらふらと流されるだけにならずにいられるんじゃないだろうかと想います。一つである多がわかっていれば。
だから、何か問題が起きたとき、その度に新しいルールを作って対処するのではなく、問題の根本に何があるのかを探すことの方が大事なのではないでしょうか。

やっぱり、私たちは、新しい思想を覚えるのではなく、思い出すだけでいいんじゃないかと、排除すればいいのではなく、それぞれを尊重しながら全体のために変化しながら進んでいく。それがいいなと想いました。

さまざまな思想のカオスの中で、何も無い世界に、色とりどりの鮮やかな世界を生み出していけばいい。
すべての中心に、完璧な秩序を持って。

世界は、美しい。

それでは、私はクライとルルルについて森へ行ってきます。

はて、この想像・創造は、どこからくるのだろう?