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視力

選んでいるようで 選ばされている
望んでいるようで 望まされている
利用しているようで 利用されている
見ているようで 見せられている

取り戻した視力で世界を見てみれば
そのトリックが見えてくる

育てているようで 育てられている
教えているようで 教えられている
生きているようで 生かされている
見ているようで 見られている

取り戻した視力で世界を見てみれば
そのパラドックスが見えてくる

必要ないのに 必要だとされる
問題ないのに 問題があるとされる
足りているのに 足りていないとされる
見ているようで 見えなくさせられている

取り戻した視力で世界を見てみれば
そのギフトが見えてくる

私たちの目が見ているもの
それは どこからやって来たのか
内なる視力で世界を見てみれば
見ていた世界の崩壊と同時に
自ら立ち上がる世界の姿に 目を奪われるだろう

 

 

愛の人

愛されたいと 願う人がたくさんいる
愛されたくて 相手を束縛する 注文をつける 攻撃する
愛されたくて 相手に自分を明け渡す 着飾る 目をつぶる
どうしたら 私を愛してくれるの?

愛して欲しかったと 嘆く人もたくさんいる
生まれた環境が悪かった 両親の育て方が悪かった
社会の仕組みが悪かった 人間関係が悪かった
だから 私は愛を知らない 信じない もう諦めた

地球は どうだろう?
愛されなくても ここにいてくれる
愛されなくても 住む場所を食べ物を与えてくれる
愛されなくても たくさんの多様な体験を学ばせてくれる
愛されなくても 宇宙の中を運んでくれる

どうして 自分の望む愛の形でなきゃ受け取ろうとしないのだろう
どうして ここに存在しているということだけでは満足できないのだろう
どうして 世界は生命で溢れているのに孤独だと言うのだろう

あれでなくちゃ こうしてくれなくちゃ
あれを手に入れなくちゃ こうゆう状態じゃなくちゃ
不満はつのり 不足は不足を呼んで 苦しむばかり
でも それらを解放した時 本当に必要なものが目の前に 愛と共にどっと流れ込んでくる

外側の世界は自分の内側の世界の反映
愛の人は 世界に愛を見る
どんな環境も どんな状況も あなたが本当の愛に気づくため
あなたがその愛に目を向ければ 溢れるほどの愛が すでにここにあったことに気づく
そして その開かれた目で世界を歩いていくならば あなたの世界は愛に満ちていき
これまで愛に条件をつけていた自分が可笑しく思えてくるだろう

 

 

日陰の大樹

ガクンと世界の傾きが変わり 隠されていた僕らの頭上に陽が注ぐ
「さあ」とあたたかな眼差しに促され 僕らは顔を上げて立ち上がる
太陽の子らが 星々の子らが 天使の子らが
遙かな時を超え 託され携えてきたのもをこの地に放つために立ち上がる
誰かと比べずとも 自分の価値を知る方法がここに
多数の中に居ようとせずとも 自分の居場所を知る方法がここにあると

ゴロンと社会が転がり 日陰にいた僕らの頭上に陽が注ぐ
「さあ」と勇壮な眼差しに促され 僕らは一歩踏み出して立ち上がる
変わり者と除けられていた子らが あまりにやさしいゆえに力を譲ってきた子らが
この間に コツコツ学び積み上げてきた経験を伝えるために立ち上がる
シュプレヒコールを上げずとも 世界を変える方法がここに
社会的地位を目指さなくとも 豊かさを得る方法がここにあると

きみが僕らからそれを聞き出せないのは きみがその問いを知らないから
僕らは問いを待っている きみからの問いを待っている
僕らはいつでも差し出す準備は出来ている
そしてきみが僕らに問うたその時に 僕らは笑顔でただ頷くだろう
きみのその問いが答えだから

光が強すぎて目立たないようにしてきた僕らの上に日が昇る
ベールが上がり たくさんのサポートの介入が可能となった今
降り注ぐエネルギーと内から湧き上がるエネルギーが混ざり合い
圧倒的な幸福感と共に もう大丈夫だと 本当の姿を見せてもいいのだと感じているだろう
この星が僕らの力を必要としている この社会もまた僕らの知識を必要としている
さあ のびのびと軽やかにゆったり歩いていこう

きみの周りに 僕らはいるよ
きみがこれまで 僕らの存在に目を向けてこなかっただけで
いや きみがそうかもしれない
きみがきみ自身に ちゃんと目を向けてこなかっただけで

 

 

テーブルの上

真っ白い廊下を 赤いワンピースを着た裸足の少女が 走って行く
片側に 幾つもの扉が並んでいる

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなテーブルがあった
望遠鏡 顕微鏡 計量器 定規 薬品 試験管やいろいろな実験用具
そして 化学式と数式が書かれたメモが ぐちゃぐちゃに丸められていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなテーブルがあった
地球儀 世界地図 化石 骨格標本 積み上げられたたくさんの分厚い本
そして 一枚の年表が びりびりに破かれていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 小さなテーブルがあった
ランプ インク ペン
そして 一編の詩が書かれた小さな紙片が 置かれていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は プレゼントを受け取るように その紙を手にすると
大事そうに ポケットにしまった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 一枚のキャンバスが イーゼルに立てかけられていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は キャンバスに近づくと しばらく眺め
そして ぎゅっと抱きしめた
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなコンピュータがあった
モーターがうなりを上げ チカチカとせわしなく
いくつもの小さなライトが 点滅しはじめた
「Hello.」 モニターが明るくなり 文字と共に奥行きのない音声が発せられた
「Hello. Who are you?」 少女はコンピュータに話しかけた
「I don’t understand the question. Could you tell me more?」
「Where are you from? Where are you going?」
「I don’t understand the question. Could I have more information?」
少女は けらけらと声を立てて笑った
すると コンセントが抜け
真っ暗になったコンピュータは もう何も言わなくなった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

「わたしも もりにいくわ!」
少女は 廊下の先から溢れてくる光の中に 走っていった
少女の裸足の足が 土に触れ 一面の草原がおだやかに揺れていた
少女の目は その向こうに佇む 大きな大きな森を見た
燦々と降り注ぐ陽を浴びて 少女は 走って行った

陽光が照らすテーブルの上に 小さな白い羽が舞い降りた
はたと 物語を書く手を止め
大人になった少女は 部屋を出た

 

 

自分のエネルギーに注意しよう

最大の高慢あるいは最大の自卑は自己に関する最大の無知である。

(参考:岩波文庫「エチカー倫理学」スピノザ著、畠中尚志訳)

我々が特につとめなければならぬのは、おのおのの感情をできるだけ明瞭判然と認識し、このようにして精神が、感情から離れて、自らの明瞭判然と知覚するもの、そして自らのまったく満足するものに思惟を向けるようにすることである。つまり感情そのものを外部の原因の思想から分離して真の思想と結合させるようにすることである。
これによってただ愛・憎しみなどが破壊されるばかりでなく、さらにまたそうした感情から生ずるのを常とする衝動ないし欲望も過度になりえないことになろう。

(参考:岩波文庫「エチカー倫理学」スピノザ著、畠中尚志訳)

しかしここに注意しなければならぬのは、我々の思想および表象像を秩序づけるにあたっては、常におのおのの物における善い点を眼中に置くようにし、こうして我々がいつも喜びの感情から行動へ決定されるようにしなければならぬことである。

(参考:岩波文庫「エチカー倫理学」スピノザ著、畠中尚志訳)

時々、思う。
どうして、イライラしている人は、そのイライラが関係を壊していることに気づかないのだろう? と。

イライラしている人が目の前にいたら、どんな感じがするだろう。率直に嫌だなと感じる。あるいは一緒になってイライラして、ギャーギャー騒ぐだろうか。そして、周りの人たちも巻き込んで、ヒリヒリと嫌な感じをその空間全体に広げていくだろうか。
その場を何とか乗り越えたとしても、別の場所で別の人に、「この間、こんな人がいたのよ」と、イライラを広めるだろうか。それを聞いた人は、どんな感じになるだろう。一緒になって、あるいはまた別の人に・・・。イライラは、どこまで広がっていくだろう。今は、SNSってやつがあるわけで。誰でも自分の考えを発信でいるのは素敵なことだけど、それを使って自分の小さなエゴを満たすためだけに、世界中にイライラを広めて楽しいだろうか?
そんな世界で、生きたいと思う?

嫌だと思ったら、自分のところで断ち切ろう。イライラをぶつけられても、深呼吸。右から左に受け流す。ユーモアの一つでももっていたら最高だ。その人のイライラを笑いに変えられるかもしれない。笑いのエネルギーは、思い込みと幻想を吹き飛ばしてしまうから。
もちろん、あなたが穏やかでいるだけで大丈夫。それが案外大変なのだから。あなたのその落ち着きっぷりを見たら、その人のイライラも静まって、大問題だと思っていたことも、実は大したことではなかったと思えるようになるかもしれない。沈黙のエネルギーは、その人の真の姿を露わにしてしまうから。

私たちは、もっと穏やかに賢くなる必要がある。
そして、ストレス社会を作っているは、誰かじゃなくて、私たち一人一人なのだと自覚すること。それが出来れば、まず自分のイライラをコントロールしようと努めるようになる。そして、その姿を見て、見習おうとする人が増えていくかもしれない。そうすれば、イライラする人も少なくなって、イライラしている人にイライラする人も少なくなって、イライラしている人の暴言や暴力によって傷つく人も少なくなる。
世界は、静かな美しさを取り戻す。私は、そんな世界を生きたい。

樹木そのものがわたしたちにとり、結局はもう何も意味しないとき、環境汚染や自然破壊に対して社会批判的な論を述べても、それが何の役にたつというのでしょう? しかし、その詩のなかで樹木の美しさ、この謎を秘めた存在への兄弟心を体感させてくれる詩人は時代遅れとされ、ほとんど滑稽な過去の遺物とみなされるのに、環境破壊に対して怒りを込めたパンフレットを書く者は、森がかれ自身にとっては現代生活において生物学や化学的な基礎以上の意味を持たなくても、進歩的、いや勇気があるとさえ言われるのです。

(参考:岩波書店「エンデのメモ箱 <永遠に幼きものについて>」ミヒャエル・エンデ著、田村都志夫訳)

今の世界に不満を感じたら、すべてを投げ出したり、反抗的になるのではなく、自分が本当に望む世界のままを生きよう。「自分の望む世界はこうなんだ」って、そこで生きる自分のままでこの世界を生きてみる。そうすれば、少しずつかもしれないけれど、世界は望む方へと回り出す。

みんながあまり注目しない現象がある。それは内なる世界の荒廃だ。これはおなじように脅威だし、おなじように危険だ。そして、この内なる世界が荒れはてないように、ちいさな内なる樹木をためしに植えてみてはいかがだろう。たとえば、いい詩を書いてみよう。これは内なる木を植えることだ。
木を植えるのはリンゴを収穫するためだけではない。いや、木はそれだけで美しい。なにかに役立つというだけでなく、樹木がただ樹木であることがたいせつなのだ。
それがおおぜいの作家たち、いやおおぜいではなくとも、何人かの作家や芸術家がこころみていることだ。つまり、ただそこにあり、人類みんなの財産になりうるなにかを創造することである。それがそこにあることが、それだけでよいことだから。

(参考:岩波書店「だれでもない庭 エンデが遺した物語集 <内なる世界が荒れはてないために>」ミヒャエル・エンデ著、ロマン・ホッケ編、田村都志夫訳)

あなたが、ここに存在しているだけで美しい。

賑やかな場所で、静かにひとり窓辺に座っている人がいる。彼女(彼)は、何もしていないように見えて、本当はその場を一番支配している。支配という言葉はあまりよくないかもしれなから、一番世界に貢献していると言った方がいいかもしれない。
大衆の波に乗らない人。その人は、空気が読めないわけでも、仲間に入りたくても入れないというわけでもなくて、もっと大きな世界の中で生きている。だから、みんなの中に入らなくても寂しくないし、焦ったりなんかもしていない。でも、その人は繊細だから、気をつかってみんなの中にいるかもしれない。それでも、その人は気づかないうちにみんなを導いていく。だって、その人の力はとても強いから。大きな声を上げなくても、派手なパフォーマンスをしなくても、その力は圧倒的だから。

自分の中に、もっとも美しくて強いものがあるのなら、それを見つけたいとは思わない?

自分の発するエネルギーに注意しよう。そのエネルギーが、この世界を創っているのだから。