投稿者「kozue」のアーカイブ

「ルーシーとソフィーとファーベル」を終えて

12月1日、「ルーシーとソフィーとファーベル」を終えました。会期中は、雨の日もあり、ぐっと寒くなりましたが、木々は鮮やかに色づき、穏やかな時間が過ぎていきました。最終日の閉館時間までご来場いただきありがとうございました。
展示会の様子をアップしました。 exhibition「ルーシーとソフィーとファーベル」>>

「ルーシーとソフィー」(アファール猿人・人類の祖先(※諸説あり)と知恵・叡智)という言葉が見えてから数ヶ月後、「ファーベル」(寓話・おとぎ話)が加わり、どうやって出会ったのかすっかり忘れてしまいましたが、シルバーポイントを手にして、今回の「ルーシーとソフィーとファーベル」の制作活動がスタートしました。
制作中は、ずっと見たかったものを見ることがでたり、これまで学んできたことや経験してきたことを活かすことができて、ずっと憧れて挑戦したかったことに挑めて、とても素敵な時空間でした。そして、ご来場いただいた方々にはバレバレでしたが、とてもとても楽しかったです。

この「ルーシーとソフィーとファーベル」は、まだまだ大きくなれる気がしています。靄の中のミッシングリンクがあります。それを今回は描けませんでした。(ずっと描けないかもしれないし、すでに描いているのかもしれないけれど・・・・・。)
いつかスケールアップして、もう一度できたらいいなと想っています。その時は、“森”の復活と共になろうかと想います。

他にもまだ実現できていなことがたくさんあります。
すぐにみなさんにまたお会いできる予定は今のところありませんが、その時が巡ってきましたら、お会いしましょう。

今回の展示会が開催できたこと、本当に嬉しく想います。ありがとうございました。

みなさんの活動、想いが、豊かに実りますように。

それでは、また。

 

 

テーブルの上

真っ白い廊下を 赤いワンピースを着た裸足の少女が 走って行く
片側に幾つもの扉が並び 少女は扉を開けた

部屋の中には 大きなテーブルがあった
望遠鏡 顕微鏡 計量器 定規 薬品 試験管やピンセットなどのいろいろな実験用具
そして 化学式と数式が書かれたメモが ぐちゃぐちゃに丸められていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなテーブルがあった
地球儀 世界地図 化石 骨格標本 積み上げられた分厚い古い本
そして 一枚の年表が びりびりに破かれていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 小さなテーブルがあった
ランプ インク ペン
そして 一編の詩が書かれた羊皮紙が 置かれていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は プレゼントを受け取るように その羊皮紙を手にすると
大事そうに ポケットにしまった
少女は部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 一枚のキャンバスが イーゼルに立てかけられていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は キャンバスに近づくと しばらく眺め
そして ぎゅっと抱きしめた
少女は部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなコンピュータがあった
「Hello.」 モニターに映し出された つるっとした人間の顔が話しかけた
「Hello. Who are you?」 少女はコンピュータに話しかけた
「I don’t understand the question. Could you tell me more?」
「Where are you from? Where are you going?」
「I don’t understand the question. Could I have more information?」
少女は けらけらと声を立てて笑った
すると コンセントが抜け 真っ暗になったコンピュータは もう何も言わなくなった
少女は部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

「We are going to “FOREST”!」
少女は 廊下の突き当たりの扉を開けた
少女の裸足の足が 穏やかにそよぐ草原に触れ
少女の目は 遠くに佇む森を見つめた
燦々と降り注ぐ陽を浴びて 少女は走って行った

陽光が照らすテーブルの上に 小さな白い羽が舞い降りた
はたと 物語を書く手を止め
大人になった少女は 部屋を出た

 

 

自由な人、善良な人

盲目的な欲望に支配される人々が相互に示すような感謝は、多くは感謝というよりもむしろ取引あるいは計略である。

<参考:スピノザ著「エチカー倫理学」畠中尚志訳(岩波文庫)>

徳を教えるよりも欠点を非難することを心得、また人々を理性によって導く代わりに恐怖によって抑えつけて徳を愛するよりも悪を逃れるように仕向ける迷信家たちは、他の人々を自分たちと同様に不幸にしようとしているのにほかならない。

<参考:スピノザ著「エチカー倫理学」畠中尚志訳(岩波文庫)>

 

自由な人は、自分の欲望のままに生きる人のことじゃない。
その人は、自分のエゴに捕らわれている不自由な人。自分で自分の目を耳を塞いで、うわべだけの自由な人を演じている。
善良な人は、悪い人や不幸な人とした人を自分の思う正しい方へと導く人のことじゃない。
その人は、自分のエゴに捕らわれている不幸な人。勝手に相手の目を耳を塞いで、うわべだけの良い人を演じている。

「表現の自由」「言論の自由」を大声で言っている人もまた同じ。
何を言ってもかまわないなんてことが、本当にあるだろうか? ただ、自分の発したことの間違いを撤回するのが嫌で、あるいは、ちゃんと議論が出来ない故に、自由という言葉に逃げているだけではないだろうか。
「正義」を振りかざしている人もまた。
唯一の正義というものは、本当にあるだろうか? ただ、自分たちとは違うもの、あるいは、敵を作ることでしか、自分たちの存在を示すことが出来ない故に、正義という言葉を作り出しているのだろうか。

自由な人は、ちゃんと他者を見ている。そして、他者の自由を認めているから、やたらと干渉しない。だから、一見無関心に見えるかもしれないけれど、相手の考えを受け入れられる、とても心が広くて穏やかな人なのだ。
自分の自由だけを優先している人は、他者をちゃんと見ていない。自分の自由のために他者を支配しようとするから、暴力的になる。
善良な人も、ちゃんと他者を見ている。そして、他者の存在を認めているから、やたらと干渉しない。だから、一見冷たく見えるかもしれないけれど、相手の力を信じることができる、とても心が強くて温かい人なのだ。
自分が良い人に見られたいとしている人は、他者をちゃんと見ていない。自分の評価のために他者を自分の作った規則に従わせようとするから、強引になる。

自由な人、善良な人は、精神的に自立し、成熟している人。豊かに軽やかに微笑む。水のように、太陽のように、自分を生き、周りを生かす。内から輝き、世界を照らす。

 

自由の人々のみが相互に最も有益であり、かつ最も固い友情の絆をもって相互に結合する。そして同様な愛の欲求をもって相互に親切をなそうと努める。したがって自由の人々のみが相互に最も多く感謝し合う。

<参考:スピノザ著「エチカー倫理学」畠中尚志訳(岩波文庫)>

 

自由な人、善良な人とは逆に、悪ぶる人、自分で考えることを止める人もいる。
その人は、他者への自分への可能性を信じることを放棄した人。世界に対して目を耳を塞いで、それでも愛してと叫んでいる。

私たちは、お互いに学び合っている。丁寧に生きていこう。