投稿者「kozue」のアーカイブ

日陰の大樹

ガクンと世界の傾きが変わり 隠されていた僕らの頭上に陽が注ぐ
「さあ」とあたたかな眼差しに促され 僕らは顔を上げて立ち上がる
太陽の子らが 星々の子らが 天使の子らが
遙かな時を超え 託され携えてきたのもをこの地に放つために立ち上がる
誰かと比べずとも 自分の価値を知る方法がここに
多数の中に居ようとせずとも 自分の居場所を知る方法がここにあると

ゴロンと社会が転がり 日陰にいた僕らの頭上に陽が注ぐ
「さあ」と勇壮な眼差しに促され 僕らは一歩踏み出して立ち上がる
変わり者と除けられていた子らが あまりにやさしいゆえに力を譲ってきた子らが
この間に コツコツ学び積み上げてきた経験を伝えるために立ち上がる
シュプレヒコールを上げずとも 世界を変える方法がここに
社会的地位を目指さなくとも 豊かさを得る方法がここにあると

きみが僕らからそれを聞き出せないのは きみがその問いを知らないから
僕らは問いを待っている きみからの問いを待っている
僕らはいつでも差し出す準備は出来ている
そしてきみが僕らに問うたその時に 僕らは笑顔でただ頷くだろう
きみのその問いが答えだから

光が強すぎて目立たないようにしてきた僕らの上に日が昇る
ベールが上がり たくさんのサポートの介入が可能となった今
降り注ぐエネルギーと内から湧き上がるエネルギーが混ざり合い
圧倒的な幸福感と共に もう大丈夫だと 本当の姿を見せてもいいのだと感じているだろう
この星が僕らの力を必要としている この社会もまた僕らの知識を必要としている
さあ のびのびと軽やかにゆったり歩いていこう

きみの周りに 僕らはいるよ
きみがこれまで 僕らの存在に目を向けてこなかっただけで
いや きみがそうかもしれない
きみがきみ自身に ちゃんと目を向けてこなかっただけで

 

 

私の歩む地球

ドクン ドクン ドクン ドクン
輝く透明な虹色 私がこれから歩んでいく地球
ドクン ドクン ドクン ドクン
鮮やかで軽やかな風が吹く
誰もが創造者として立ち上がり
同時に存在するエネルギーを選択しながら歩いて行く
それぞれのペースが尊重され その美しい調べが世界を彩る
多様な世界は共に育むものとなり
行き交う力は豊かな森を広げ すべての人に必要な実が分けられる
抜けるような青い空
輝く水面 創造と破壊を伝える波の音
深海は現出する前の満ちたる大いなる静寂を秘め
クジラの飛沫が時を告げる
星々はここにあり
血を沸き立たせる太陽は 新たな体験の場を提供する
木々のざわめきはうたとなり
全ての生命の螺旋を描く輪の中心に湧き出す泉は雨を呼び 開かれた物語を紡ぐ
みずみずしい金緑の草原を この地に生まれた喜びに子供たちが走っていく
働くことは個々の真の目的を生きることとなり
勝敗は相手を負かすことではなく
称賛は生を全うした死の時に与えられる
連なる山々の教え 宇宙の鼓動と呼応するマントル
月の満ち欠けは静と動のリズムを伝え
暗闇に灯すあたたかな明かりは血を沈め 夜の扉をノックする
豊かな眠りは豊かな生活を創り出し 豊かな呼吸は世界と共鳴し
怒りは満ち足りた心に溶かされ 孤独はひとつの中に抱きしめられる
見えるものと見えないものへの比重が変わり
純粋な意図が人々を繋げる手段となる
存在はここにあり
肉体の目は内なる目によって開かれ 世界の中にありながら世界自身を体感する
ドクン ドクン ドクン ドクン
新しい地球はすでにここにあり
伸ばした手があなたに触れる
ドクン ドクン ドクン ドクン
私たちが歩みはじめた地球
今初々しく目の前に広がり
見上げた空から 輝く透明な虹色の雨が降る

 

 

テーブルの上

真っ白い廊下を 赤いワンピースを着た裸足の少女が 走って行く
片側に 幾つもの扉が並んでいる

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなテーブルがあった
望遠鏡 顕微鏡 計量器 定規 薬品 試験管やいろいろな実験用具
そして 化学式と数式が書かれたメモが ぐちゃぐちゃに丸められていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなテーブルがあった
地球儀 世界地図 化石 骨格標本 積み上げられたたくさんの分厚い本
そして 一枚の年表が びりびりに破かれていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 小さなテーブルがあった
ランプ インク ペン
そして 一編の詩が書かれた小さな紙片が 置かれていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は プレゼントを受け取るように その紙を手にすると
大事そうに ポケットにしまった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 一枚のキャンバスが イーゼルに立てかけられていた
静まりかえった部屋に 主の姿はなかった
少女は キャンバスに近づくと しばらく眺め
そして ぎゅっと抱きしめた
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

少女は 扉を開けた
部屋の中には 大きなコンピュータがあった
モーターがうなりを上げ チカチカとせわしなく
いくつもの小さなライトが 点滅しはじめた
「Hello.」 モニターが明るくなり 文字と共に奥行きのない音声が発せられた
「Hello. Who are you?」 少女はコンピュータに話しかけた
「I don’t understand the question. Could you tell me more?」
「Where are you from? Where are you going?」
「I don’t understand the question. Could I have more information?」
少女は けらけらと声を立てて笑った
すると コンセントが抜け
真っ暗になったコンピュータは もう何も言わなくなった
少女は 部屋を出て 真っ白な廊下を走っていった

「わたしも もりにいくわ!」
少女は 廊下の先から溢れてくる光の中に 走っていった
少女の裸足の足が 土に触れ 一面の草原がおだやかに揺れていた
少女の目は その向こうに佇む 大きな大きな森を見た
燦々と降り注ぐ陽を浴びて 少女は 走って行った

陽光が照らすテーブルの上に 小さな白い羽が舞い降りた
はたと 物語を書く手を止め
大人になった少女は 部屋を出た

 

 

自由な人、善良な人

盲目的な欲望に支配される人々が相互に示すような感謝は、多くは感謝というよりもむしろ取引あるいは計略である。

(参考:岩波文庫「エチカー倫理学」スピノザ著、畠中尚志訳)

徳を教えるよりも欠点を非難することを心得、また人々を理性によって導く代わりに恐怖によって抑えつけて徳を愛するよりも悪を逃れるように仕向ける迷信家たちは、他の人々を自分たちと同様に不幸にしようとしているのにほかならない。

(参考:岩波文庫「エチカー倫理学」スピノザ著、畠中尚志訳)

時々、思う。
本当に自由な人、本当に善い人とは、どういう人のことだろう? と。

自由な人は、自分の欲望のままに生きる人のことじゃない。
欲望のままに生きるその人は、自分のエゴに捕らわれている不自由な人。自分で自分の目を耳を塞いで、うわべだけの自由な人を演じている。
善良な人は、その人から見た悪い人や不幸な人を自分の思う正しい方へと誘導する人のことじゃない。
自分の思い込みだけで動くその人は、自分のエゴに捕らわれている不幸な人。勝手に相手の目を耳を塞いで、うわべだけの善い人を演じている。

「表現の自由」「言論の自由」を自己弁護のために使っている人もまた同じ。
何を言ってもかまわないなんてことが本当にあるだろうか? ただ、自分の発したことの間違いを撤回するのが嫌で、あるいはちゃんと議論が出来ない故に、自由という言葉に逃げているのではないだろうか。
「正義」を振りかざしている人もまた。
唯一の正義というものは本当にあるだろうか? ただ、自分たちとは違うもの、あるいは敵を作ることでしか自分たちの存在を示すことが出来ない故に、正義という言葉を使っているのではないだろうか。

自由な人は、ちゃんと他者を見ている。そして、他者の自由を認めているから、やたらと干渉しない。だから、一見無関心に見えるかもしれないけれど、相手の考えを受け入れられる、とても心が広くて穏やかな人なのだ。
自分の自由だけを優先している人は、他者をちゃんと見ていない。自分の自由のために他者を支配しようとするから、暴力的になる。

善良な人も、ちゃんと他者を見ている。そして、他者の存在を認めているから、やたらと干渉しない。だから、一見冷たく見えるかもしれないけれど、相手の力を信じることができる、とても心が強くて温かい人なのだ。
自分が善い人に見られたいとしている人は、他者をちゃんと見ていない。自分の評価のために他者を自分の作った規則に従わせようとするから、強引になる。

自由な人、善良な人は、精神的に自立し、成熟している人。豊かに軽やかに微笑み、水のように、太陽のように、自分を生き、周りを生かす。内から輝き、世界を照らす。

自由の人々のみが相互に最も有益であり、かつ最も固い友情の絆をもって相互に結合する。そして同様な愛の欲求をもって相互に親切をなそうと努める。したがって自由の人々のみが相互に最も多く感謝し合う。

(参考:岩波文庫「エチカー倫理学」スピノザ著、畠中尚志訳)

自由な人、善良な人とは逆に、自分で考えることを止める人、すべてを否定して悪ぶる人もいる。
その人は、他者への自分への可能性を信じることを放棄した人。世界に対して目を耳を塞いで、それでも愛してと叫んでいる。

私たちは、お互いに学び合っている。丁寧に生きていこう。

 

 

世界との関係を再び取り戻すために

「早く歩きすぎた」とインディアオは話した。「だから、われわれの魂が追いつくまで、待たなければならなかった」
わたしたち、つまり工業社会の“文明”人は、この“未開な”インディオから多くを、とても多くを学ばなければならないと思う。外なる社会の日程表は守るが、内なる時間、心の時間に対する繊細な感覚を、わたしたちはとうの昔に抹殺してしまった。ここの現代人には選択の余地がない。逃れようがないのだ。わたしたちはひとつのシステムを作り上げてしまった。ようしゃない競争と殺人的な成績一辺倒の経済制度である。一緒になってやらない者は取り残される。昨日モダンだったものが今日は時代おくれと言われる。舌を垂らしながら、わたしたちは他の者を追いかけ、駆けているが、しかしそれは狂気と化した円舞なのだ。一人が駆ける速度を高めると、みんな速く走らなければならない。それを進歩とよんでいる。

(参考:岩波書店「エンデのメモ箱 <考えさせられる答え>」ミヒャエル・エンデ著、田村都志夫訳)

時々、思う。
私たちは、何をそんなに急いでいるのだろう? 何に対して、そんなに必死に合わせようとしているのだろう? と。

確かに、急がなくちゃいけないという感覚はある。それもだいぶ危機迫った感じで。でも、それは何かを開発することや規則を作らなければならないというのではなくて、もっと根源的なものが脅かされているという切迫感。
世界はどうなってしまうのだろうと、不安に感じている人が一層増えてきているからなのかもしれない。大規模な自然災害だけではなく、人の心が壊れてしまっているのが、多くの人の目に見えるように表に出てきているのだし。でも、不安に思うってことは、気づいたってことでもある。だから、このままじゃいけないと立ち上がろうとしている人もいよいよ増えてきているのかもしれない。

奇妙にも、聖書に同じような文章を見つけた。「世界を手に入れても、魂をきずつければ、何の得だろう」(「マタイ福音書」十六章二十六節)。ああ、魂がなんだというのだ! 魂など、とうの昔に道すがらどこで忘れてきてしまった。未来の世界は完璧に楽で、完璧に本質を喪失した世界になるだろう。そう思いませんか?

(参考:岩波書店「エンデのメモ箱 <考えさせられる答え>」ミヒャエル・エンデ著、田村都志夫訳)

便利さを優先してきた結果、ちょっとでも不便なことがあるとすぐに苛立つ。ちょっと前までそれがなくても苛立つことなんてなかったのに・・・。レンジでチンで、何がわかるだろう? それは、身体を心を健康にするだろうか。料理をすることでも、気づくこと、学べることはたくさんあるのに・・・。何でも手っ取り早く簡単に、というのは、とても乱暴で暴力的にも感じる。「時短、時短!」と嬉しそうに言うけれど、豊かさまでも削り取ってしまってはいないだろうか、と心配になる。
最近「丁寧な暮らし」というものが見直されてきているのは、今までの暮らし方はどこかおかしいのではないかと気づき、本当に心を豊かにしてくれることとは何なのだろう、と考えはじめた人が増えているからなのかもしれない。
もちろん、新しい開発をしない方がいいってことじゃない。心を伴った、世界との関係性を保ったものができれば、とても嬉しい。

百年以上にわたって、ヨオロッパはただもう研究と、工場の建設ばかりやってきた。かれらは、人間ひとり殺すのに、何グラムの火薬がいるかということは、くわしく知っている。しかし、どうやって神に祈るかということは、知らないんだ。どうやったら、一時間でも満足していられるかということさえ、知りやしない。

(参考:岩波文庫「デミアン」ヘルマン・ヘッセ作、実吉捷朗訳)

われわれは自然に帰る道を再び見つけ出さなければならない。この道がどこにあるのかを、ひとつの単純な考え方が教えてくれる。確かにわれわれは自然から切り離されてしまった。しかしわれわれはそこから何かを内なる自然として自分の本質の中に持ち込んでいるに違いない。この内なる自然を見出さなければならない。そうできれば、関係が再び見出されるであろう。

(参考:ちくま学芸文庫「自由の哲学」ルドルフ・シュタイナー著、高橋巌訳)

土に触れよう。太陽に手をかざそう。新鮮な水を飲もう。土は、汚くないよ。太陽は、教えてくれるよ。水は、繋いでくれるよ。
ほら、聞こえるようになったでしょう? これが、この星の、この宇宙のうた。
急がず急ごう。風は吹いている。黄金の風が、今。
あなたの内で力強く鼓動するもの、底なしに温かく輝くもの。
ほら、見えるようになったでしょう? これが、世界。本当の自分の姿。
急がず急ごう。風は吹いている。黄金の風が、今。

私たちは、世界を変えた。だから、これからだって変えられる。一人一人の選択で。

そんなに情報集めてどうするの
そんなに急いで何をするの
頭はからっぽのまま
(中略)

襟足の匂いが風に乗って漂ってくる
どてらのような民族衣装
陽なたくさい枯れ草の匂い

何が起ころうと生き残れるのはあなたたち
まっとうとも思わずに
まっとうに生きているひとびとよ

(参考:小学館「永遠の詩02 茨木のり子 <時代おくれ>」高橋順子選・鑑賞解説)