終わりと始まりの鼓動、地球が活動していなければ豊かな自然は生まれない

flower07メフィストーフェレス:
それでも無論たいしたことはできんですよ。
無に対立している或物ですね、
つまりこの気のきかない世界というやつですね、
こいつは、私がこれまでやってみたところでは、
なんとも手に負えないやつなんです。
津波、暴風、地震、火事、いろいろやってみますが、
結局、海も陸も元のままに平然たるものです。
それにあの忌々しいやつ、動物や人間のやつらときたら、
どうにも手のつけようがありませんや。
これまでどれほど葬ってやったでしょう、
それでも新鮮?剌たる血が依然として循環するのです。
こういう工合だからわれわれも気が狂いそうになるんですよ。
空気から、水から、地面から、
千万の芽が萌え出してくる、
乾いた所からも湿った所からも暖かい所からも寒い所からもです。

(参考:岩波文庫「ファウスト 第一部」ゲーテ作、相良守峯訳)

時々、思う。
“被害”とは、何なのだろう? “異常気象”とか“自然災害”とは、何なのだろう? と。

「未完の創造に栄えあれ!」
アーシュラ・K・ル=グウィンのどの物語に出てくる台詞だったか忘れてしまいましたが、  私を身体の中心からグッと立ち上がらせてくれる、とても好きな言葉です。

地球がこうして活動していなければ、私たちはどんな世界にいることになるのだろう?
山があって、川があって、森があって、海があって。晴れの日、雨の日、嵐の日、雪の日があって。地震が起きて、噴火が起きて。虹が架かって、風が吹いて・・・。こんなに豊かな自然は出来ていないかもしれない。そして、こんなに多様な生物も生まれてこなかったかもしれない。多くの詩も多くの踊りも多くの芸術も生まれることはなかったかもしれない。
山はどうやって出来るのか。それを知るだけでも、多くのことを知ることができる。

“環境保護”や“動物保護”は、どこまで人間が関わる必要があるのだろう?
すべて今私たちが生きているこの状態のままにしておくことは、自然なことだろうか? それもまた、人間の勝手な考えなのではないだろうか、と思う。これまでだって、地球の環境はずっと一定だったということはなかったはずなのに・・・。
絶滅した生物を復活させようという考えは、どこからくるのだろう? それで満たされるのは、狭い想像力の中の好奇心とほんの一時だけの達成感だけなのではないだろうか。多くの生物の生と死によって、私たちがここにいることを忘れてはいけないのでは・・・。
もちろん、過度な搾取や破壊、循環しないものや必要以上の大量生産は、考え直さなければいけない。それも、“自然であること”の範囲を超えていることだから。
でも、“異常”とは“被害”とは、誰の目線で言っていることなのだろう? もっと高くて深いところから見たら、この変化はどう見えるだろう?

大きな自然の力を受けて、これまでの生活が急にできなくなることは大変だれど、そこに“奪われる”という感覚はないし、“終わり”を見ることもできない。崩壊と同時に“始まり”の鼓動を聞く。
その時マイナスだと思った出来事も、そこから一歩踏み出す時にはプラスになっている、ということを経験したことがある人は多いのではないだろうか。自分が暗闇にいると思っていても、光は、暗闇の中にあるのです。そこに目を向けてみた時、暗闇はやさしく笑って消えていくでしょう。

世界が終わると言っている人たちは、世界のどこを見てそう言っているのだろう?
新しい世界が始まると言っている人たちは、世界のどこを見てそう言っているのだろう?
終わりの先には、何があるのだろう? 始まりの前には、何があるのだろう?
それを、誰が知るのだろう?
今日もこの地球の活動的なエネルギーに、私はドキドキしています。
生きている地球。生きている宇宙。ドクンドクンドクンドクン・・・。私もここで生きている。
“温暖化”は、この地球のエネルギーが上がっているからなのでは・・・。
世界が終わる? “世界”は、こうしてあるのに・・・。

日々いろんなことが起きているけれど、表面に見えることだけではなく、エネルギーを見ることが出来れば、不安な感情に押しつぶされることも、不安をあおるような情報に振り回されることもなくなるのではないだろうか。
ここにいるのは、人間だけではないのだから。

“自然な生き方”とは、どんな生き方のことなのだろう?

地上生活の根底に宇宙の萌芽が感じとれたとき、一切の地上生活の意味が透明になる。どんな植物形態も、どんな石も、否、地球全体が新たに甦るべき大宇宙の胚種なのだ。このことを地球は、その生命と形姿のよって明示している。人間の魂がこのことに気づくなら、地上のどんな存在も新しい光の下に現われるであろう。

(参考:春秋社「シュタイナー 悪について <ミカエルの秘儀>」ルドルフ・シュタイナー著、高橋巌訳)