宇宙から地球を見てみたら・・・

flower30フラーは、「上」「下」という方位づけは地球上でしか有効でないという。宇宙で有効な方向づけは「内側に」「外側に」でしかないだろうという。そして、対談の合間に、即興の詩をサラサラと走り書きし、それが番組が終わった後でシュワイカートに渡した。シュワイカートはそれを今でも大切に持っているというが、次のような詩である。

それぞれの人にとって環境とは
「私を除いて存在する全て」
であるにちがいない。
それに対して宇宙は、
「私を含んで存在する全て」
であるにちがいない。
環境と宇宙の間のたった一つのちがいは、私・・・・・
見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私

(参考:中央公論社「宇宙からの帰還」立花隆著)

時々、思う。
私たちはみんな地球人なんだと認識したら、地球上での争いはなくなるのだろうか? と。
敵がいた方がいい人たちは、今度は地球の外に敵を探すようになるかもしれないけれど・・・。

NASAの宇宙飛行士に、宇宙へ行って何を感じたのかをインタビューした内容をまとめた「宇宙からの帰還」という本を読みました。
時代はスペースシャトルが飛び始める頃で、宇宙飛行士になる人はエリート軍人で、NASAの職員や研究員も理系の科学者やエンジニアだったためか、地球に帰還した後の聞き取りはテクニカルな事ばかりで、精神的なことへの関心はなかったそうです。宇宙飛行士同士の間でも、心の深いところまでの話はしたことがなかったとか。
時代背景は一昔前の出来事かもしれないけれど、宇宙飛行士の精神的な面から見た宇宙や地球に対する言葉は、今の私たちもまだ耳を傾けなければいけないことだと感じました。はたして、私たちはこの頃よりも成長・成熟しているだろうか・・・?

「眼下に地球を見ているとね、いま現に、このどこかで人間と人間が領土や、イデオロギーのために血を流し合っているというのが、ほんとに信じられないくらいバカげていると思えてくる。いや、ほんとにバカげている。声をたてて笑い出したくなるほどそれはバカなことなんだ」
(中略)
・・・宇宙からは、マイナーなものは見えず、本質が見える。表面的なちがいはみんなけしとんで同じものに見える。相違は現象で、本質は同一性である。地表でちがう所を見れば、なるほどちがう所はちがうと思うのに対して、宇宙からちがう所を見ると、なるほどちがう所も同じだと思う。人間も、地球上に住んでいる人間は、民族はちがうかもしれないが、同じホモ・サピエンスという種に属するものではないかと感じる。対立、抗争というのは、すべて何らかのちがいを前提としたもので、同じものの間には争いがないはずだ。同じだという認識が足りないから争いが起こる」

(参考:中央公論社「宇宙からの帰還」立花隆著)

今、自分の目が見ているものだけが世界のすべてではないことを知るこということは、とても大事なことなのではないだろうか。短絡的に物事を決めたりせず、いろんな角度から見て、より高く深く見てみることができれば、これまでとは全く違う景色が見えてくる。それには、静かに穏やかになることが必要です。争いばかりしていては、見えてこない。
宇宙飛行士の方々は、ミッションをこなしている間は目の前のことだけで忙しすぎて、何かを考えるという余裕もなかったけれど、ふとできた何もやることがない自分だけの時間に、宇宙を眺め、地球を眺めたときに、これまでの意識が大きく変わったことを経験したそうです。
私たちも、ふとした時に、急に問題の全体が見えて解決策を思いついたりするということは多いのではないだろうか。

また、同じ宇宙空間の中でも地球の軌道上でグルグル地球の周りを回っているのと、地球の軌道を離れるという経験は、全然違うのだそうです。
私は経験できませんが、想像してみました。
地球の軌道上ではまだ地球と繋がっていて、楽しく遊んでいるような感覚でいられそうだけれど、軌道から離れた瞬間、親しい人と手を放して、急に知らない土地に放り出されてしまったような寂しさと不安を感じ、そうやって月の軌道からも離れていったら、今度は果てしない解放感と同時に大きな何かに包まれていくようなあたたかい安心を感じがしました。

本の中には、もし宇宙飛行士に詩人を選んだら。という箇所もありました。本当に実現したら、彼は何を書くのか・・・。とても興味がわきましたが、本当の詩人であれば、物質的に宇宙に行かなくても、今この瞬間に彼は“それ”を見るだろうとも思いました。

「宇宙船の窓から見ていると、ものすごいスピードで地球が目の前を回転していく。何しろ九十分でひとまわりしてしまうのだ。いまキリストが生まれたところを通りすぎたと思ったら、すぐにブッダが生まれたところにさしかかっている。国と同じくらい多くの宗教や教派がある。どの宗教も、宇宙から見ると、ローカルな宗教なのだ。それぞれの地域が、これこそ我々の精神的指導者、指導原理とあおぐものを持っているが、それはそれぞれの地域ではもっともらしく見えても、宇宙から見ると、それがほんとの普遍的精神的指導者、指導原理であるなら、そんなに地域地域でバラバラのはずがないと思えてくる。何かもっとローカリティを抜きにした共通のものがあるはずだと思えてくる。
(中略)
「あるとき、ある場所がカオスに満ちているように見えるとうことはあるだろう。しかし、それはいずれ解消するカオスだ。あるいは全体を見通してみると、カオスと見えたものが実はカオスではなく、全体のハーモニーの一部であるのかもしれない。つまり、カオスは時間的にか、空間的にか、いずれにしろ部分的にのみ存在するものだと思う。」

(参考:中央公論社「宇宙からの帰還」立花隆著)