全部やってあげるのは愛かな?

dolphin時々、思う。
“助ける”って、どうゆうことだろう? “応援する”って、“力になる”って、どうゆうことだろう? なんでもかんでもやってあげるのは、愛かな? と。

「こんなに、応援しているの! こんなに、尽くしているの! こんなに、愛しているの! こんなに、こんなに、私は、あなたに・・・」
そんな自分に酔っていたりして。
それでいて、自分の思い通りの反応が返ってこなかったら、怒ったりなんかして。
「こんなに、こんなに、私は、あなたを愛しているのに、どうして・・・?」

愛された方も、それに応えなくちゃと、応えられなかったらどうしようと、別のところに力を使ってしまう。
自分を相手の理想に合うようにと、別の自分を作り上げてしまう。

それはまるで、力を与えているようで、奪っているようだ。
力をもらっているようで、明け渡しているようだ。

放っておくのも、愛なんじゃないだろうか。
縛りつけるのではなく、自由に解放してあげる方がいいんじゃないだろうか。
相手が、十分“自分”でいられるように。

全部やってあげて、何になるだろう?
転んだって、そこから学ぶことは多い。
それを奪うことは、大きなチャンスを奪うことになるかもしれない。
いつでも安心して帰ってこられる場所を作っておいてあげれば、それでいいんじゃないだろうか。
力は、自分の中にあるのだから。
それに気づかせてあげるのが、愛なんじゃないかな?

「こうしてはいけない」と言われると、それをしたくなる。
「こうあるべきだ」と言われると、それをしたくなくなる。
人間は、不思議で、面白い。
じゃ、「自分の好きなようにやりなよ」と言われたら、何をする?